第46回宗議会報告

真宗再興運動の

新たなる展開を願って

 

真宗大谷派なる宗門はいったい何のために存在しているのか

 

「大谷派本願寺は余輩のよってもって自己の安心を求め、よってもって同胞の安心を求め、よってもって世界人類の安心を求めんと期するところの源泉なるにおいておや」とは清沢満之先生の言葉であります。

この清沢先生の精神を受けて、「同朋会運動は、単に一宗一派の運動ではない。単に寺を強くする運動でもない。それは、人類に捧げる教団としての運動である」といわしめたのであります。

ところが、総長演説によると、宗門存立の使命は遠くかなたへ押しやられ、現存の宗門組織をいかに守っていくかということにのみ、かかり果てているとしか思えません。

 かつて、教団問題が熾烈を極めた時、当時の嶺藤亮宗務総長は「管長さんは成さねばならぬことは少しもなさらず、しては成らぬことばかりなされる」と深い慨嘆の思いを度々口にされたと聞いていますが、現内局や与党真宗興法議員団の宗門運営の状況を見ていると甚だ残念ながら、嶺藤総長の慨嘆の思いと同じ思いが募るばかりであります。

そもそも、我われ有志の者が長年苦労を共にしてきた真宗興法議員団の諸氏と袂を分かったのは、2003年3月に三浦内局が総辞職のやむなきにいたった時に起因します。

五辻元宗務総長は「御遠忌を迎えるについて肝心なことは、信仰の回復ということがどこまで成し得るかということだ」と語られる中で、「今までのような募財の仕方をしていてはなりません。一人一人から懇念をもらってこないと、意味がないのです。そうしてこそ、初めて、それが一つの信仰運動になるのです」と熱い思いを込めて語られています。

当時の三浦宗務総長は、それら心ある人々の願いを憶念し、熟慮に熟慮を重ねた末に決断して提唱したのが「ご依頼すれども割当せず」という宗門起死回生のいうなれば施策を超えた施策でした。それを真宗興法議員団の諸氏は、「割当せずして募財の責任は持てない」という極めて短絡的、合理主義的な発想から数を恃んで、その願いを押し潰したのであります。そして宗門が本来の懇志教団へと蘇生し得る唯一の機会を自ら放棄したのであります。このような宗教教団としてあるまじき非本来的な志向から窺える宗門の将来像は、徹底した閉鎖的、中央集権的な管理教団の相であって、およそ同朋社会という言葉の響きを感じさせるものではありません。真に悲しい限りであります。

 

怒りを忘れた慈悲心、怒りなき信仰は無性格であり、そこに何らの行証はない。

今日、宗教を語り、信心を学ぶ人は多い。

しかし、そこに怒りもてまことを求める

人は少ない。

法蔵の願心は、もと純粋な憤怒の言葉ではなかろうか。   『仏の名のもとに』

 

 

何人の専横専断をも許さず

 

宗憲の前文に「何人の専横専断をもゆるさず、あまねく同朋の公議公論に基づく」と謳ったことの意味は、宗門運営の根幹を明らかに定めたのであり、たとえ宗務総長であろうとも宗憲以下諸法規を遵守すべきであるということであります。

教団問題に身を賭してきた幾多の宗門人が、二度と封建的、閉鎖的宗門に立ち戻らないために、叡智を傾け、新宗憲を制定し宗門の将来に願いをかけたのであります。

しかしながら、熊谷総長は就任以来、新宗憲の願いと同朋会運動の願いに逆行し、法規を無視し、御同朋・御同行不在の住職中心主義にあぐらをかき、保守化の道を一途にたどっているとしか言いようがありません。

今議会で問題になった点をいくつか挙げてみます。

 

1,宗門有教師を信頼せよ!

   今議会において私たちは、住職の同意がなければ行使できない宗議会の被選挙資格を無条件で有教師に開かれるよう、「宗議会議員選挙条例」の改正を議員発議しました。その理由はこれまでにも述べてきましたが、住職の同意を必要とすることは、独立者の誕生を使命とする宗門が自らの生き方を他人に委ねる、傍生を強いることとなり、きわめて非真宗的だからであります。

また、選びたいと思って立候補者を推薦しようとしても、住職が同意しなければ推薦できないこととなり、選挙人の選ぶ権利が侵されることとなります。

   さらに、住職の同意権を認めることは、そのまま住職中心のあり方をさらに固めていくことにつながります。

「議員として不適格な人物が立候補するおそれがある」との声を聞きますが、それは選挙する選挙人(有教師)を信頼していないということではないでしょうか。

住職中心の閉鎖的な宗門のあり方は一日も早く克服されなければなりません。

 

2,教研所長人事の法的論拠を示さず!!

   私たち「宗門を開く会」では、昨年の宗議会以降、本件人事の違法性を著名な法律学者の指導も得て、検証してまいりましたが、その結果、あらためて「宗務総長に解任権はあっても手続き規程を遵守する義務があること」「宗務総長の執らねばならなかった方途」「名誉毀損に相当する人事」等、その違法行為が確認されました。(詳しくは既刊『あまねく同朋の公議公論を尽くす』をお読み下さい。)

   その結果をもとに、昨年の議会において、「本件人事は適法であり、三宅法律事務所の千森弁護士からも適法であるとの指導を得た」との答弁に対し、今議会においてさらに適法との法律的論拠を示すよう求めたのでありますが、最後まで何ら論拠を明示されることはありませんでした。

   このことは、裏を返せば、違法人事を行ったことを図らずも証明していることに他なりません。

   また本件に対し、真宗興法議員団の執行部をはじめ所属議員からも誰一人として適法人事であるという法律的論拠を示してのアピールがなかった事実も見逃すことのできないことであります。

 

3,長久寺参務の役職名詐称問題

   宗議会が開催される直前の5月22日付発行の「大分合同新聞」に「よみがえる150年前の伝統建築」という見出しで長久寺参務の自坊の修復記事が参務の顔写真付きで掲載され、顔写真の下に「長久寺徳瑞前住職」とあり、本文中にも「前住職で昨年から東本願寺の筆頭参務を務める長久寺徳瑞さん」とありました。日豊教区の複数の方々がこのことを問題にされ、新聞のコピーと手紙を「宗門を開く会」に送付されました。その件につき、大澤議員が懲戒条例第42条「役職名詐称」にあたるのではないかと質問しましたが、参務自身は、「自坊では息子に責任を持たせるため住職を名のらせている」と言い、総長も「前住職のようなものだと受け取られただけで、別に問題はないと思う」というまことに無責任な答弁に終始しました。

   宗門法規を預かる総務担当参務のあるべき姿勢とはとうてい思えず、6月14日付で審問院に提訴しました。

 

4,別院輪番非違行為の対処について

  天満別院前輪番に別院管理運営上、かねてより種々の不明朗な点があることを関係者により指摘されていました。「宗議会同朋社会推進委員会」ではその点を重視し、長久寺参務より事の顛末の説明を受けた結果、前輪番に非違行為のあったことが明らかになりました。

今回、本会議においてあらためてその点について質問しましたが、プライバシーの問題だからと、答弁しませんでした。

「同朋社会推進委員会」における経理上の説明だけでも非違行為があったことは明らかにもかかわらず、その事実を隠蔽しようとする姿勢は決して許されるものではありません。

 

5,急を要する過疎の問題

   私たちが提案した「過疎地域現状調査委員会設置に関する条例案」が興法議員団の反対で否決されました。過疎の問題は昨日今日起こってきた問題ではなく、全国的、全宗門的課題であることは誰にも異論のないことだと思います。

2002年7月に宗派から発行された『日本と宗門』は、2000年11月1日に実施された「第6回教勢調査」の結果をもとに作成された冊子であります。それによると、過疎地にある大谷派の寺院と門徒の実態と今後の予測は大変な情況であることをはっきりと指摘しています。にもかかわらず、この委員会の設置に対して興法議員団は「門徒戸数調査の委員会と混同する」との理由にもならない理由で全員が反対しました。

各位におかれましては、自教区の宗議会議員に過疎の問題をどう考えられているのか、是非問い合わせていただきたいと思います。過疎の問題は避けて通れないもっとも急を要する課題のひとつであります。

 

6,本廟維持財団に対して民事訴訟を!!

   真宗大谷派本廟維持財団正常化の問題は、財団に対して面談を申し込むことをいたずらに繰り返していてはらちがあかぬ問題であり、全宗門人が一斉に署名運動をし、京都府庁や文化庁に強力に行政指導を行うよう働きかけること、また当該財団に対し、「本願寺への助成を行うべし」という民事訴訟を起こすべき時に到っているとの「宗門を開く会」の見解を示しましたが、「慎重に対応したい」と消極的な答弁に終わりました。

私たちは、見解の具体化を目指して今後活動していきます。

 

宗政の正常化をいかにして回復する

 

現下の宗政は、いままで申し述べてきたようにまさに異常であります。この現状を打破して正常な相を取り戻すには、宗議会議員選挙の有権者が真剣に教団と教学のありようを論じ合っていかねばならぬことを痛感します。また、もし教団内の自浄作用が期待できないとなった時、法的手段に動くべきかも知れません。

 教団は決して誰かのためにあるのではないでしょう。まさに私一人のところに開かれてくる世界だと存じます。全宗門各位の奮起を心から念じあげます。

 

  

宗憲制定の願いを憶念し

真宗再興運動の展開を期して

 

2002年12月に『宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌基本計画・真宗本廟両堂御修復事業 最終報告』が提出されました。

(『真宗』誌20032月号掲載)

そこに宗祖御遠忌についての基本姿勢として、“宗祖御遠忌を迎える状況”を述べた後、「宗門を開く」として、「私たちの宗門は、どこまでも非僧非俗の精神に生きることを願いとする宗門である。それは時代と社会から超然とするのではなく、どこまでも浄土真宗の教えを生きる門徒の教団として、人間の現実生活に関わり、その現実的な問題と対峙し、その問題の根を明らかにしていくことが宗門の宗教的生命である。はたしてそのことに応えうる宗門となっているであろうか。まさに21世紀の宗門は、現代社会から、その存在意義が問われている。その課題に応えていく為には、具体的な歩みとして、宗門が自らの閉鎖性を破り、現実のさまざまな問題と切り結ぶ場として自らを開いていくことである。言い換えれば、宗門が宗教的精神と現代社会が確かな緊張関係の中で出会う場となることである」と記しています。

さらに“親鸞聖人を世界に”として、「親鸞聖人を讃嘆するところに御遠忌をお迎えする基本的な姿勢があるということは言うまでもないが、それは宗門の中に親鸞聖人を閉じこめることではない。現実のさまざまな問題に直面している私たち一人ひとりが世界の人々と共に、あらためて親鸞聖人と出遇うことではなかろうか」と語っている。

総長はその演説の中で「総計画実働3年を経過して、当初の願いと方向を確かめる」と語られているが、この『最終報告』をどう受け止め、確認されたのでしょうか。

御遠忌を5年後に控えた重要な時期の今議会に、提案された条例案は文言の訂正程度のものを含めてわずかに4案件で御遠忌に向けての活力ある提案は皆無。

「教学・教化の機構改革」も、「須弥壇収骨場所の拡充」も「平衡資金の見直し」にしても、全て今後審議会を設置して協議・検討するとして、実質審議は先延ばし。

7項目の教化施策を通底する事業であるとされる「帰敬式実践運動」についても、具体的方策は各教区まかせ、組まかせで、そこに内局がどのような理念を持ち、中央でどういう具体的施策を実施しようとするのか、熱い願い、強い姿勢を汲み取ることはできませんでした。

 加えて、昨年来の教研所長の人事問題、今回明らかになった別院輪番人事にからむ問題、さらに参務の立場にある者の役職名詐称問題等、そこに一貫して見られる法規無視の対応。それが宗憲前文に示された宗門運営の根幹を著しく侵す行為であることへの無自覚さは驚くばかりです。

 何故こうなったのか。その根に宗門本来化に粉骨砕身された先輩方のご苦労を疎かにし、またその歩みに学ぶことを忘却しているということがあるのではないでしょうか。

御遠忌を目前に控えた今、もっとも大切にしなければならぬことは、「宗門白書」から「同朋会運動」へ、「教団問題」をくぐって「新宗憲制定」へと歩まれてきた、同朋社会の実現を目指す方向を逸脱してはならぬ、その宗門の歴史に逆行してはならぬ、ということでありましょう。

 本年は、宮谷総長名で「宗門白書」が発せられて50年の年にあたりますが、そこに指摘されている「このままでは御遠忌がかえって聖人の御恩徳を汚しはせぬか」との憂慮せざるを得ない状況と言っても過言ではないでしょう。

 御遠忌お待ち受けのもっとも大切なこの期間を、取り返すことのできぬ空白期間としないよう、宗門に心寄せられる全ての人々と共に、真宗再興運動の新たなる展開に向けて具体的施策の策定に着手していきます。

 

初めての宗議会常会を終えて

 

悲歎からの出発        旦保立子

 

 精神的疲れと空虚感と落胆、ある意味での怒りと悲しみをお土産に我が家に帰りました。ただ、このお土産を私は大切にしていきたいと思っています。今現在のただ中で、これを感じなくなったら議員はやめねばならないと思います。

 今回の常会で、代表質問・一般質問の確保等から、議会内会派「宗門を開く会」が立ち上がり、私はその中に参加させていただきました。

 議員立候補の願いは情報の開示、そして、僧俗問わず老若男女が共に平たくおおらかに歩むことでした。

 私は今議会で、男女両性で形づくる教団を謳いながら、内局巡回の全国の教務所長宛通知文に、坊守や門徒女性が対象者に入っていないのは何故なのか、ということを中心に質問しました。

 しかし、「それぞれの教区、組で対応すればいい」との答弁で、男女両性で形づくる教団の内実のなさへの謝罪や反省の言葉はありませんでした。

「同朋社会の顕現」とか「人類に捧げる」とかの言葉は、身を投げて野に明らかに開くものでなければならないと思います。

青少幼年センター構想は、「統括」という言葉に象徴される教化教学のセンター構想の中に組み込んでいく、教学研究所、解放推進本部もまたしかり。

また、同朋会運動推進委員会も未執行のまま、2006年度予算では減額計上。

 悲しいけれど、この状況を伝え、私自身も含め、在野の方たちと共に宗門の行方を考え、声をあげていかなければ、またぞろ、2011年は単なるイベントに終わってしまう。悲歎からの出発!

     

何人の専横専断を許さない   赤松範昭

 

初めての常会に出席いたしました。かなりの緊張を感じながら議場に入りました。

田舎の住職として外野から中央(一応、宗門=内局)を見ている感覚とは違ったものがありました。焼酎を飲みながら、坊守とああでもないこうでもないと言い合っている自分とは違う自分を見ていました。何に賛成をし、何に反対をするのか、まさに皆さんに議員にしていただいた赤松範昭の全てが、今問われているという緊張感だったように思いました。

 でも、二日目には、その感覚が次第に薄れていくのがわかりました。

宗務職員時代から信頼を寄せていたあの先輩たちが、「どうも本音で話していない」、そんな気がしてきたのです。もちろん与党真宗興法議員団の方たちですが。

 改革的というか、前進的というか、とにかく宗門を前向きに引っ張って、つまり同朋会運動の願いをしっかり背負っておられると思っていた方たちが、「教師に対しての被選挙権の拡大」や、「過疎問題」や、「法難八〇〇年記念事業」に取り組もうとする提案にことごとく反対するのを見ていると、何のことはない、自分の意志とは関係なく宗務総長の言うがままにしか動けないロボットに見えてきたのです。個人としての意見を押し殺し、多数に従おうとする、(あるいは従わされる?)無難を選ぼうとする姿勢を見せつけられました。 改めて、あたま数の多いことの大事さ(?)を痛感させられました。

 そして、「あまねく同朋の公儀公論を尽くす、何人の専横専断を許さない」と謳った宗憲を忘れてしまっている今の真宗興法議員団には、この先の宗門は任せられない、任せてはいけない、つくづくそう感じたことでありました。

 今後とも、皆さんの代弁者として緊張感を取り戻して、宗門の在りようを問い続けてまいりたいと思います。

 

宗門の再生か終焉かの瀬戸際  本多一壽

 

常会の感想は、あえて言うなら、「およそ言葉の通じない世界に行ってきました」ということでしょうか。

まず当局からの改革意欲が感じられるようなダイナミックな提出議案は皆無でした。そして各質問に対しては、あえて焦点をぼかしたような総長の長話か、参務が無理にピントをはずしたとしか言いようのない、前もって用意された原稿を朗読するか、そのどちらかという、まことに聞いていて情けない答弁の連続でした。教学論議にせよ、政策論議にせよ、論議を尽くすという以前の話です。

今回、長久寺参務の身分詐称問題、そして天満別院前輪番には何らの懲戒も与えず早々と依願免を許し、なあなあまあまあの姿勢で宗門法規をないがしろにし、その指摘の声も通じない有り様でした。

昨年の玉光教研所長の不当な解任問題に続いて、またも当局の専横専断の体質は変わるどころか増長する一方で、砂をかむような思いで議場におりました。

また、質問に関係ない答弁書を読む参務が二人も現れ、怒号の中でも長時間にわたって不要な文を読み上げ、その後、議会からのクレームによって、結局二度にわたって撤回と謝罪がおこなわれました。議会軽視もはなはだしいことです。必要なことに答えず、必要でないことに言葉を費やす、全く訳がわからない答弁の連続でため息しか出ません。

 そして、差し迫った必要性が感じられる「宗門を開く会」からの議員発議の提出議案(過疎地域現状調査委員会設置に関する条例案・宗議会議員選挙条例の一部を改正する条例案、並びに、宗会条例の一部を改正する条例案)に対しては、とにかく否決の立場に固執する態度でした。そして、この重要な二つの議員発議案は、非常に苦しい理由のもとに否決されました。ある意味、まだ良識のある与党議員の方々の苦渋に満ちた表情が印象的でした。

 政治の実務に教学を奉仕させるかのような宗政の現状に対し、批判の声を届けるため、今後も再生への希望を失わず、開かれた宗門を願いとし、宗門の保守・硬直化に風穴をあけるべく歩んでいきたいです

   

有情ようやく身小なり      玉光順正

 

 始めての宗議会常会だったが、徒労感だけが残ったといっていい今議会だった。

 これは内局、与党の責任だけをいっているのではない。内局、与党には期待はできないと思っていたので、それはそれで当然であるといえないこともない。しかし、それよりもむしろ、野党、私の属している「宗門を開く会」、そして「G・恒沙」も含めてのことである。

 何故なら、今問われているのは、現代における真宗大谷派なる宗門の存在意義であった筈なのだが、それに応えられるような提起は全くなかっただけでなく、そのことを考えさせられるような可能性すら、今議会では全くなかったと思われるからである。

 議会そのものに、およそそんなことを考えるきっかけさえなかったといっていい。その結果、既定方針(そんなものが確かにあったともいえないが)通り粛々と与党は与党、野党は野党の仕事をしただけであったように思われる。

 私たちが議会内会派「宗門を開く会」を形成したことは、それなりに期待をされた方もすくなくはなかったと感じられた。しかし、結果的には残念ながらそれを全く裏切ってしまったとしかいいようがない。

 こんな感じは、私が新人議員だからというのではなくて、もしそのように感じられていないという議員がいるなら、それは与野党を問わず議員としての職務より、なにか他のことを考えておられるといっていいのではないだろうか。

 議会の質が段々悪くなってきているという声を聞かないでもない。又自分でもそう思わないでもない。そしてそのことに、これまで私自身もそうであったように全く無関心である。これは無投票区が多いということもそのことを証明しているし、選挙があってもその時だけの関心で、後は議員まかせとなってしまう。そして議員は議員だけで、いわば密室での自己主張、自己弁護、自己肯定をするわけである。普通には議会は全く見えないのである。「真宗」誌などで活字になったりしたのを読むとそれなりのことをしているのかなと思ったりしてしまうわけである。

 ともあれ、その現場に立たされてみて感じたことは、これでは駄目だということであり、同時に少しでも可能性を開く為には何をしなければならないかということである。それは或る意味では簡単である。この現状をとにかくそのままできるだけ多くの人たちに知ってもらうということである。

 現状があらわになると、私たち議員は何らかのアクションをせざるを得ない。密室性を破るには今はそれが一番大切だと思う。

 もし、このままいけば真宗大谷派は必ず駄目になる。清沢先生等によって始められた教団改革の動き、そしてそれがなんとか続けられてきたことによって、他の既成教団とは少しはちがう、現代における宗教教団としての可能性があるかのように思われ、そして私たちもそこにかけてきたといっていいのだが、その僅かに残っていた可能性が今閉じられようとしている。

 若し、このままいけばといったが、それは今議会のような態度で与野党がいけばということである。勿論、議員の方々もそれぞれ色々と考えておられるだろうから、そのことに期待したいと思うし、それよりも先ず私(私たち)自身も変わらなくてはならない。そして何とか可能性を開き、親鸞聖人750回御遠忌を宗門内外の人々と共に意味あるものとして勤めたいと切実に思う。

 おそらく、ここ一年の動きの中でそれが決まってくるだろう。与野党を問わず、議員であるないを問わず、僧俗を問わず、教団内外を問わず、国内外を問わず、心ある人々と共に歩みたい!

   

本冊子の挿絵は全て大阪教区の銀杏通信中の[しゃらりん]にお世話になりました。

 

[編集後記]

 「宗門を開く会」として初の議会報告をお届けします。

 「新しい宗憲で本山の法主はなくなったが、地方のミニ法主をどうするかがこれからの問題だ」と語られた先輩の言葉を思い出します。「宗門を開く会」と名のりつつ、私たち自身が知らぬ間に、僧侶中心の閉鎖的なありかたに流れているのではないか、厳しく自らを見つめつつ、議員としての責務を果たしていきたいと思います。皆様方のご意見ご提言をお寄せ下さい。

 

大澤秀麿(北海道)旦保立子(東京)福田元道(高岡)能邨英士(小松)木全和博(名古屋)三浦 崇(三重)赤松範昭(京都)本多一寿(大阪)玉光順正(山陽)

大城雅史(久留米)

 

真宗大谷派宗議会 「宗門を開く会」

代 表 三浦 崇

事務所 〒454-0964

      名古屋市中川区戸田2―1106

      宝泉寺内

2006年7月1日 発行

開かれた「真宗大谷派」宗門を願って

 

 「宗門」という、その門は「門は入出の義なり」(曇鸞)と教えられるように、閉じられていては門とは言えません。閉じられている門は単なる壁であり、垣根でしかありません。そこから門信徒をはじめ、内外のすべての人が出入りすることができる時、それを宗門というのだと思います。

 今、「真宗大谷派」宗門の門は開かれていると言えるでしょうか。

 一九六二年、親鸞聖人七〇〇回御遠忌を縁として始められた真宗同朋会運動。その後、ほぼ半世紀の時が経過しました。

「家の宗教から個の自覚へ」「人類に捧げる教団」というスローガンや目標は、宗門内外の人々の注目を集め、活力も生み出しました。そして、その反動としておこった「開申問題」を機にした、いわゆる教団問題も何とか克服してきたといえるでしょう。

 そこには、それらの動きを支えてきた、宗門を開こうとする真宗教学がありました。そして、確かに「教団こそ教学の実践の場だ」という感覚がありました。

 教団問題の渦中にあって、その対応に苦慮されていた先人が、「宗門に危機があることは、なんら危機ではない。危機感を失った時が、本当の宗門の危機である」と語られたとおり、今、「真宗大谷派」宗門は「本当の危機」のただ中にある、と感じるのは私たちだけでしょうか。

 その危機とは、一言でいえば、「宗門が閉じられようとしている」ことにあります。

勿論それは、意識的にということではありません。意識としては、むしろ逆に宗門を開きたいと考えられているに違いありません。しかし、その思いとは逆に、宗門が内向きになっていっているというのが実際なのではないでしょうか。

 例えばそのことは、親鸞聖人七五〇回御遠忌に向けて、内局が提起された七つの主な施策等を考えましても、それらは全て内向きとしかいえないように思われるのは私たちだけでしょうか。

 末法という時代は、宗教的無関心、あるいは、宗教的混乱の時代といえるでしょう。

かつて、「寺は風景にすぎない」という言葉が語られたことがあります。具体的には、寺にも僧侶にも、そして教団にも何の期待もされていないということであります。にもかかわらず、私たちは教団存立の根元的な意義を問おうとせず、いたずらに寺や教団を守ることに汲々としているのではないでしょうか。

 私たちのように、寺や僧侶、教団の側に身を置くものが、その様な時代、まさに末法の時代に真向かいになるにはどのような方法があるのでしょうか。それには、どのように考え、語り、行動していけばいいのでしょうか。

 「真宗大谷派」宗門を考える時、二つの方向があるように考えられます。それはおそらく日本という国家を考える時も同じでしょう。一つは閉じられた強い宗門(国家)を作ろうとする方向。他の一つは開かれた軟らかい宗門(国家)を作ろうとする方向です。

 今、私たちの「真宗大谷派」宗門の姿勢は、その前者、閉鎖的で独善的な強い宗門を目指しているように思われます。しかし、私たちは後者、即ち開かれた軟らかい宗門を目指そうと思います。真宗同朋会運動で掲げられた「人類に捧げる教団」とは、様々な問題を持ちつつ「開かれた軟らかな宗門を目指そう」とするものでありました。

 親鸞聖人七五〇回御遠忌に向けて、そしてその後の「真宗大谷派」宗門をどう方向づけるかを考える時、今何よりも大切なことは、あらためて開かれた軟らかな宗門を目指すことだと確信するものであります。

 「真宗大谷派」宗門は単に門信徒だけの宗門ではありません。

 かつて、野間宏氏は「本願寺の危機は日本文化の危機である」と語られましたが、私たちは今まさにその言葉の重みを受け止めることであります。

 親鸞聖人の精神こそ、今、私たちが、日本が世界に誇ることのできる、そして呼びかけることのできる豊かで大らかな文化であると考えます。

 今、私たちは宗門内外の心ある人々とともに、「真宗大谷派」なる宗門を開き、日本を開き、世界を開く歩みをはじめたいと考え、「宗門を開く会」を名告り、議会活動をしていくこととしました。

 宗門内外の皆様のご支援とご協力をお願いする次第です。是非、歩みをともにいたしましょう。

   200620