50回宗議会常会(2009.5.286.9)議会報告

 

 

09年度一般会計予算  計常・臨時部合計    896千万円(前年比4億円増)

新年度ご遠忌予算総額                       322423万円

ご遠忌特別会計総予算                    3111千万円(44千万円増)

 

 

上程議案                                 42

 

○請願書                                       4

 1、御影堂から『見真』額を下げることを求める請願(新潟県上越市)

2、真宗大谷派の歴史を検証できる天牌・見真額等の資料の常設展示することを求める請願(新潟県上越市)

 3、割当適正委員会(仮称)の設置を求める件(大阪市西成区)

 4、割当適正委員会(仮称)の設置を求める件(大阪府大東市)

 

○議員発議条例案                           4

 1、寺院教会条例の一部を改正する条例案

 2、宗議会議員選挙条例の一部を改正する条例案

 3、宗会条例の一部を改正する条例案

 4、過疎対策検討委員会設置に関する条例案

 

○宗議会決議                                  2

 ソマリア沖の海上自衛隊の即時撤退を求め、海賊対処新法案制定に反対

する決議

   ・・・・全会一致ではなく、賛成多数で採択

 死刑制度に反対し、裁判員制度の見直しを求める決議

   ・・・・これも全会一致ではなく、賛成多数で採択

 

 

 

 

 

 

 


はじめに☆

宗議会議員の任期4年目の最後の議会を終え、今、ご遠忌を2年後に控え、「笛吹けども踊らず」という新約聖書マタイ伝の言葉がありますが、様々なお膳立てをし、言葉を尽くして語られましたが、何かそれに応じることができない状態を禁じえなかった。笛を聴き、その笛に感動し、自らもまた、創造して、共々に歩みだす力が波のように伝わっていく、それが、感じられない常会となりました。

 

御影堂は昨年12月に瓦等の修復を終え、現在は御影堂にかかっていた素屋根を阿弥陀堂へと移動させるスライド工事が始まっています。と同時に少しずつ修復なった御影堂がその姿を現わしてきています。その姿を見るにつけ、「はたして私どもは今、御遠忌を感動を持って受けとめているでありましょうか」「もし仮に自身として御遠忌ということが感動・感激というものを伴っていないのであれば、それは何故か」「その有り様が教えによって深められなければならない」という問いを演説の中で発せられた総長自身が、感動・感激を伴った御遠忌が勤められるのか、と不安を抱かれたのではないかと思いました。その危惧はどこにあるのでしょうか。

 

まもなく「御遠忌法要実施計画書」を発行し「団参受入センター」を開設して、7月からは教区団参の受け付けが開始されます。参拝者の駐車場のやりくりをし、岡崎の「みやこめっせ・京都市勧業館」を昼食会場(「御遠忌弁当」・1,200円・試食をしましたが、吟味された精進料理でおいしかった)に確保し、20113月から5月は法要もさることながら、各種行事が目白押しで、全国からの参拝者を迎え入れようとする意気込みは感じられます。

しかし、2011年以降を見据えた時、具体的に宗門はどういう方向に進もうとしているのかが具体的に見えてきません。安田理深先生の言葉を引用して、「根源的に出直す時」、「その道が念仏である」と総長は言われます。まさに「出直す」時と私も思います。「根源に帰す道が念仏である」時、その「仏を念ずる」歩みはどういう具体的内容を持つのかを問わなくてはならないと思います。その歩みの内容こそが宗門の方向性を指し示すものなのではないかと思います。

 

● 修復なった御影堂から「見真額」を降ろそう ●

50回常会は「見真額」議会と言ってもいいくらい、代表質問はじめ、一般質問、各委員会総括質問でも、「見真額」を御影堂から降ろして、御遠忌を迎えようではありませんか、という意見が多く聞かれました。さらに、教区会正副議長・議員、門徒会会長、組長らを含めた高田教区有志16人から御影堂から『見真』額を下げることを求める請願書と、真宗大谷派の歴史を検証できる天牌・見真額等の資料の常設展示することを求める請願書が出され、請願委員会に諮られました。そして、議会に付されることが同委員会全会一致(当然興法議員団所属の方4人も賛成)で決定されました。いよいよ、2年後に迎える御遠忌に向けて、宗門白書は出されていないものの、宗門の歩むべき道が内外に表明されると、期待いたしました。

 しかし、それぞれの質問に対しての総長の答弁は「明治天皇から親鸞が戴かれたもの」「教学的課題ではなく、時代の宗政で考えていくもの」「明治の両堂再建に勢いをつけた」「明治の再建当時の姿にかえす」というもの。そして、結局、「真宗教団が大師号を国に要請した」「当時の状況を否定できない」「現宗憲にそむいているともそむいていないとも言えない」「両堂再建のかかわりにおいて検証しなければならない」「絶対的に額を上げておかなければならないと決めているのではない」「参議会の新選良の方々の意見も聞かねばならない」と、明確な答弁は得られなかった。

 決議では、内局は議場から退席し、議決に加わらなかった。また、請願委員会で議会に付すことに賛成票を投じた4人の興法議員も退席し、それでも、議場内の議員と無所属議員の方々の反対で、賛成少数で否決されました。

 

 教師修練で「靖国問題」を学び、95年には宗参両議会で「不戦決議」を採択して、「仰せなきことを仰せとしてきた」歴史を深く懴悔し、同じ過ちを繰り返さないことを誓いました。その前には81年、新「宗憲」から、「見真大師」の名称を使用しないことを決断し、同時に大師堂・大師堂門の名称も、御影堂・御影堂門に改められました。2001年には授与物からも、見真大師、慧燈大師の名称も使用しないこととしました。ここまで歩みながら、「なぜ?」と思わずにはいられませんでした。基本理念「宗祖としての親鸞聖人に遭う」とはと、問わざるをえませんでした。

 

○ 首都圏開教(2億円)と沖縄開教(1億円)に設立資金 ○

 首都圏及び沖縄に新たな開教拠点を設置するため、その資金を確保するための特別措置が定められた。概略、首都圏には2億円、沖縄には1億円が計上される。遅きに失してはいるが、予算化されたことは評価できる。

首都圏における開教拠点は宗派直轄で非法人、開教法務員として、その任に当たる。その拠点は人口10万〜15万人の埼玉、千葉、東京都、神奈川がその候補地としている。そして、やがては一法人をめざすものになればという願いが込められている。ただ、今、一人(いちにん)として開教したいと願う人たちへのバックアップはどうなるのか。自助努力の道しかないのか。その疑問が残る。

沖縄については海外開教区に準じた地域として開教を推進するために沖縄県全域を沖縄準開教区として定めるもの。そして、その開教拠点は東本願寺沖縄別院とし、開教本部と一体として運営がなされていく。また、その開教拠点に僧籍を置けるようにする。他の別院のように宗派と別の法人格を有するものではない。

 

▽ ご遠忌教導を位置付ける ▽

700回御遠忌にならい、御遠忌という大切な法座で教化の任を担ってもらおうというもの。視聴覚ホールで行われる讃仰講演会の法話及び京都市内または真宗本廟から30キロ以内の近隣に宿泊する教区団体参拝を対象とした「宿舎伝道」の法話を担当する。うーん。

 

?シリーズ親鸞 10巻本  全寺院に無償配布 どうして??

御遠忌の記念事業の一つとして、大谷大学、宗門内の諸先生の執筆による「シリーズ親鸞」10巻が筑摩書房から発刊されます。それが、当初は有償頒布計画であったものが、この常会で無償配布すると決まりました。11,800円、1018,000円、全ヵ寺約8,800ヵ寺として、約16千万円が使われることになる。本山はお金が余っているのか?と疑問を寄せる人、読みたいと思う本を買い求めてこそその本の意味が出てくるのではないか、と。

当局の意見は、いろいろ疑問はあるかと思うが、この本を寺の本堂に置いて、有縁の人たちに手にとって、見ていただき、広報宣伝していただけたらと思うと。すっきりしません。16千万円を使って無償にする本当の意味は?

 

○ 同朋会館は改修工事とする ○

 2007年から、協議が重ねられてきた真宗本廟奉仕施設(同朋会館及び研修道場)の整備は当初、新築構想も視野に入っていましたが、両施設の耐震・耐久調査の結果、現時点においては堅牢であると判明、改修をする方向性で整備することとなった。

 同朋会館と研修道場の間に食堂や風呂場を移設して、それぞれの機能不備を補うこととなった。この整備は両堂等の修復完了後、2015年を目途に着工することになった。

 

 

◎ 組制の一部を改正 ○

 組会員(住職および教会主管者)が組会に出席できない時、代理人を選定して出席させることができるというもの。その代理人は1人とし、選定順序で組会員が選定する。1、寺院又は教会に所属する教師。2、僧籍を有する成年以上の寺族。3、成年以上の寺族―という順序。これでも選定できない場合は責任役員または総代の中から選定。そして、議決権も有する。

 これは、昨年来、宗政調査会・制度機構委員会で検討されてきたことが、全面的とは言えないまでも、功を奏したと言えると思います。寺に住まいする女性、また、責役・総代になられている女性たちに門戸が開けたと同時に、現在、住職・教会主管者にしかない教区会選挙・被選挙権にまで及んでいくことを望むばかりです。

 

O       議員発議

1、寺院教会条例の一部を改正する条例案

昨年常会で議決された「寺院教会条例の一部を改正する条例案」に対する改正案です。

坊守の性別は撤廃されたものの、あくまでも「配偶者」としての坊守を優先し、その救済措置も、寺族の域を出ないことに対する条例に対して、寺院に属する僧侶、門徒で住職、総代と共に自らが願い出たものを「坊守」としていこうという改正案の発議です。賛成少数で否決されました。

2、宗議会議員選挙条例の一部を改正する条例案

3、宗会条例の一部を改正する条例案

 2、3ともに宗議会選挙条例に関するものです。2004年、宗議会議員被選挙権が住職にしかなかったものを、有教師に拡大し、住職中心を超えようとしたのですが、それは無条件ではなく、立候補には住職の同意を得なければならないという条項が付いていました。それ以来、この「同意」を外すべく毎常会、この条例案を発議して来ました。しかし、今回も賛成少数で否決となりました。

4、過疎対策検討委員会設置に関する条例案

 過疎の問題は単に人口減少ということにとどまらず、人口密集地における葬儀・法事等の仏事の減少も大きな課題になっている。「地域特別性調査」の結果も踏まえ、的確な施策策定のために表記の委員会設置の提案となった。これは、当局から、しかるべき委員会を早急に設置するとの考えが伝えられ、発議案を撤回した。

 

★ おわりに ★

528日〜69日まで開かれた第50回常会。藤森教念さんの張りのある声のヤジはなく、ヤジと言えば、総長が、また内局が答弁することに賛同するヤジで、特に「見真額」を降ろさないというくだりにおいては、直近の総長経験者が「それでいい」とヤジをとばすという悲しい現場を見てしまいました。

 藤森さんの今年1月における日曜礼拝のお話が強く印象に残ったと同時に、今の宗門の御遠忌を迎えようとする姿勢を表すものと思いました。

 それは、「私が今まで語ってきた仏法は申し訳ないけれど、教養仏教でしかなかった。生活仏教でなくてはならないのです。親鸞聖人に真向かいましょう。自分を飾るために、ほこるために親鸞聖人を語ってはいけません。それは、親鸞聖人を大事にしたことになりません。おとしめるだけでございます。そんなおとしめる根性で750年が勤められるのでしょうか。自分が親鸞聖人に出会ったと言えるのでしょうか」というものです。

 まさに、人類にささげる教団として歩まねばならない時、いつまでも、住職、寺族中心の寺院運営から抜け出せないあり様を本当に一人ひとりが考えていかなければならないと思いました。

 

門徒衆と共に、そして、在野の人と共に、排除した教団に見切りをつけたけれど、親鸞さんとは出会っていくと言われた人と共に、たくさんのサゼッションをくださる人と共に歩まねばならないと思います。

「教団にいろんな事件が起きるのは、なんら危機ではない。教団に危機意識がなくなったときが、本当の危機だ」とは、訓覇信雄氏の言葉です。まだ、薄皮一枚でもつながっている今、この時、破る一歩が望まれてなりません。